親戚のトルチャンチに参加してきました。
トルチャンチとは、一歳のバースデーパーティー。
コリアンは一歳のこのトルチャンチを
盛大に祝います。

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私はこの日はカメラマンとして写真撮影を頑張りました(^_^)
トルサンもきれいに飾られて。
とってもあったかくて素敵なトルチャンチでした。

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参加しながら思ったのはね、
赤ちゃんって、ただ笑っているだけで
周りに幸せを与えられる存在なんだなって。
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でもこれはこの子に限ったことではなくて、
すべての人たちが
生まれたとき、
なんにも持っていないけど、
ただかわいくて
愛おしい存在。
生きているだけでありがたい存在。
…だったはず。
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なのに、成長していくにつれて
こうしなきゃいけないとか
社会的にはこうするべきとか、
誰かと比べられたり、
自分自身が比べてしまったり、
健康でいてくれさえすれば、
そんなささやかな願いが時間と共に
もっともっと…っていう欲やエゴになったりして。
何かがないと評価されない自分。何かを持っていないと不安な自分になっていったりする。
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でもそもそも
本当は何にもなくても
私たち一人ひとりは
意味のある存在です。
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純粋な赤ちゃんと、
その何も持っていない赤ちゃんを
心から愛し笑顔になっている周りや、
また私自身の心を感じながら、
いつもこうありたいな〜と思いました。
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こうありたいっていうのは、
何かを持っていなくても自分を認めてあげれて、
笑顔でいれて、
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人を尊重して、
愛することのできる人。
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最近自分の中で驚いたシンクロニシティがあって
とにかくそれをきっかけに
色んな欲がなくなりました。
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確かに私は昔からやりたがり屋で
色々経験してみたい意欲が大きかったんですが、
前までのような、常に何かをやっていないと…
という気持ちが今はなくて
本当に、
心から求めるものだけをしっかり聞いて
叶える…ということだけに
力を使っています。(ハイレベルなことじゃなくて、今日は〇〇のパスタが食べたいな。じゃあ食べに行こう…とかそのレベルです。)
でも一つ言えるのは、人と比較することをやめると、
本当に楽になりました。
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今コロナウイルスで、
披露宴のお仕事もキャンセルや延期で、
子供の学校も休み。
時間にも、心にも、ゆとりがあります。
自分の中身をよく見てあげる時間にしたいなと思っています。
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人は無条件に愛されている。
中には周りに親しい人がゼロという人もいるかもしれませんが、
人がいなくても
天には愛されていると思います。
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愛されていると思って生きるのと、
足りない、足りないと永遠に満たされることないところを目指して生きるのだと
どちらが幸せでしょうか。
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このトルチャンチの日は、
友人のご家族の葬儀の日でもありました。
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その方もこうして
生まれ、
トルチャンチを迎え、
一年一年、歳を重ねながら
沢山の人に出会いながら、
奥さんに出会い、
子どもたちが生まれ、
その家族に囲まれながら、
旅立ちの日を迎えられたのかな…と思いました。
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亡くなるときも人は
何も持たずに旅立って行きます。
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人望があるとか、資産があるから、
それはそれで素晴らしいことですが、
何も持たずに生まれて
何も持たずに旅立つ私たちの命は
それぞれが
何もなくても美しく
何もなくても愛される命だと思っています。
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私はカヤグムの弾き語りで、
당신은 사랑받기 위해 태어난 사람を歌うことがあります。
「君は愛されるために生まれた」というタイトルです。
지금도 그 사랑 받고 있지요
「今もその愛受けている」という歌詞で締めくくりますが、
生まれた瞬間から、生きているその間も、
私たちは愛を受けて愛の中で生きているんだなと
実感する歌です。
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少しぼんやりとしたお話になったかもしれませんが、
人は誰もが無条件に愛されている存在なんじゃないかな。
だから、色々と自分に付け加えなくてもいいし
ありのままで生きていけばいいんじゃないかな。
自分の人生も、そんなふうにシフトしていきたいな。
今日はそんな思いを綴ってみました。

ミョンミ

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