何十年も前のこと。

夫を突然亡くした悲しみに耐えられず、親戚である私のお義父さんのもとを、遠く大邱から奥さんと娘さんが訪ねて来た。住所1つだけを握りしめて。これは大邱の本家の親戚のことです。
その時お義父さんは40歳くらい。

言葉も通じない、親戚の奥さんとその娘を励まし続け、1週間の滞在予定を2週間に延ばして、どうにかコミニケーションをとりながら2人が元気を取り戻すよう努めたそうです。
それがきっかけで奥さんと娘さんは少し元気を取り戻し、その後一生懸命に生きることができたとか。

あの時の励ましがあったから子供4人を立派に育てて来れたそう。

女手1つ、全員大学におくり

長女はサ●ソンの部長。

次女はウ●銀行海外支店の支店長。

三女は韓医院院長。

長男は塾開業で独立。
学歴職歴がどうこうじゃないけど、これも1つの頑張った証。
みんな立派に成長した。

逃げ出したかった時もあったけど、お義父さんの励ましをいつも思い出しながら今日まで頑張れた、それが誇らし、と今日私に話していました。

 
私のお義父さんは韓国語が話せない。

私がこの家に嫁いでから初めて、あの時の感謝を伝えられると、大邱の親戚は大変喜んでくれました。今は専属の通訳みたいになってる。^_^

言葉って、ホントに大事なコミニケーションツールだなって思う。

数年前、軽い気持ちで主人と娘と3人で大邱に行きました。

よく考えたら、あの時ソウルにいらっしゃる親戚も全員集まってくれて、朝から晩まで至れり尽くせり。

それってお義父さんへの恩返しだったんでしょうね。その時もお義父さんへの感謝の言葉ばかりだった。

 

 

そして今日はその大切な親戚が下関を訪ねて来てくれた。

丹精込めて作った黒にんにくを沢山持って。

私自身は血の繋がりがないけど、私はこの方達が大好き。

本家を守って下さっているのはもちろんだけど、人間的に尊敬するところがたくさん。そしてあたたかい。

嫁である以上私も家族の一員。
だから、真心で接しようと思う。

心からのおもてなしをしようと思う。
でもこれってお義父さんが繋げて下さったご縁だなって思う。
お義父さんの思いやりが、大邱の親戚へ、大邱の親戚から、私たちへ、次は私たちから大邱の親戚へとあったかい心が行ったり来たり。
こう考えると、片思いって、あんまりないんじゃないかなって思う。

 

真心をあげたら真心が返ってくる。

 

別にそれを望んでいるわけではないけど、自然とそうなる。

 
大邱の親戚の奥さん、(私はオモニと呼んでいますが)もう75歳を過ぎました。

心配されるのは、次の世代になると、大邱の本家との繋がりがなくなるんじゃないかってこと。

だから大邱店のオープンをするようにって言われたり 笑

 
でも私たち大丈夫。ふるさとが大事だし心はいつも繋がっています。
お義父さんが大昔、大邱の親戚によくしてあげたのも、お義父さんのお母さんの教えだそう。
そうやってずっと繋がっていく。

私たちの真心はずっとずっと繋がって、娘の世代もその次にも繋げたい。

 
真心には真心が返ってくる。
私の周りはそんな人ばかりでありがたい。

数十年前に亡くなられた大邱のおじさんは、高校教師だった。朝いつものように「行ってきます」と言って出て行ったきり、会えない人になったそう。

だから娘さんは何度も言う。

「人生は短い。でも思い出は永遠。生きてるうちに思い出をたくさん作ろう。」
大切なことに目を向けて、大切なもののために生きていこう。

大切なものを大切と思う、真心を大事にしよう。

 

今日は親戚との有意義な時間を過ごしながら。

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ミョンミ

オ・ミョンミ  1981年山口県下関市生まれ、下関在住。 在日コリアン三世。二児の母。 幼少期から民族学校で母国の言葉や文化、歴史を学ぶ。 朝鮮大学校教育学部音楽科を卒業後7年間、地元母校の初級部にて教鞭をとる。その間民族楽器カヤグムと、コーラスの部活動のレッスンを担当しながら、沢山の子供たちの指導にあたる。 その後ブライダル司会者を志し、司会のスキルとホスピタリティを学びながら、同時期に、幼い頃から大好きだったカヤグム弾き語りの音楽活動を始める。 2011年より日韓バイリンガルのブライダルMCとして活動を始め、日本人カップルや、コリアンブライダル、国際結婚など600組以上のカップルのブライダルパーティー施行。 2019年、父と義父の病気と死によって、体と心についての学びを深める中、ヨガやボイスヒーリングの素晴らしさを体感する。 「声と共に、体と心が癒される。」 声×体×心の調和をボイスヨガや司会業、演奏活動を通して心地よい生き方、幸せな生き方を伝えています。