私の次女は0歳から病院で運動訓練を受けています。

筋肉の低緊張でふにゃふにゃ。

いつ歩けるか心配でしたが、

今日はついに病院を卒業しました。

まだハイハイもできない頃は

ボイタ法という、骨に刺激を与える指圧のような体操のようなものを先生が指導して下さり、家でも行っていました。

でも生まれて何ヶ月の子供を数分固定するのは結構難しく、いつも泣いちゃうから、まじめにやれたのだかどうだか…といったところでしたが、

2歳半。

先生の指導のもと、歩きはじめました。

先生が体操を、指導して下さると、

不思議と形がよくなったり、

長時間ポーズをキープできたり、

ミラクルが起こります。

はじめは本当に不安な気持ちでお世話になりはじめましたが、

途中から自然とポジティブな気持ちで、

病院の時間を過ごすことができました。

次女がまだ上手にお話ができなかった時も

彼女が何かすごく

頑張っているのが伝わってきたからです。

歩くぞ!とか、

この動きをクリアするぞ!…と。

段々と訓練の時間は

遊びのようなポジティブな時間に変わっていき、

次女の変化も大きく、良くなっていきました。

一年前に一度卒業しようとした時は

テストをしてもらった結果、

まだダメでもう少し続けようとなってがっくり。

だから今日もそこまで期待するのはやめておこうと思いましたが、

結果はOK✨

今までの通った日々が思い出されて

胸にこみ上げてくるものがありました。

うちだけでなく、沢山の子どもたちが通っているこの病院。

一人一人をこうして大切にしてくださる先生、

本当に素晴らしい方だなと尊敬します。

私が家で体操を続けられなかった時期も、

優しく指導して下さいました。

そして

ここに来るお母さんたちはみんな

明るく優しい雰囲気だなというのを感じました。

子どもたちの様々な状況を

ありのままに受け止めて、

その子にとってベストな方向に進めるように

一緒に歩んでいく。

…そんな親御さんたちの姿からも

学ぶことが沢山ありました。

心配するより信じる心。

お母さんの笑顔に、

どもたちは安心するし元気になるし、

ありのままでいることができる。

沢山のことを学んだ6年間でした。

こどもたちの成長を、

親が優しく、温かく見守ってあげたいな。

そんなふうに思った

娘との6年間を振り返りました。

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ミョンミ

オ・ミョンミ  1981年山口県下関市生まれ、下関在住。 在日コリアン三世。二児の母。 幼少期から民族学校で母国の言葉や文化、歴史を学ぶ。 朝鮮大学校教育学部音楽科を卒業後7年間、地元母校の初級部にて教鞭をとる。その間民族楽器カヤグムと、コーラスの部活動のレッスンを担当しながら、沢山の子供たちの指導にあたる。 その後ブライダル司会者を志し、司会のスキルとホスピタリティを学びながら、同時期に、幼い頃から大好きだったカヤグム弾き語りの音楽活動を始める。 2011年より日韓バイリンガルのブライダルMCとして活動を始め、日本人カップルや、コリアンブライダル、国際結婚など600組以上のカップルのブライダルパーティー施行。 2019年、父と義父の病気と死によって、体と心についての学びを深める中、ヨガやボイスヒーリングの素晴らしさを体感する。 「声と共に、体と心が癒される。」 声×体×心の調和をボイスヨガや司会業、演奏活動を通して心地よい生き方、幸せな生き方を伝えています。