15Mar

大事な仕事があるときにかぎって、子供が風邪をひいたり病気になったりするっていいますよね。
私もそれ、体感しました。
でもそれはこどもからの、メッセージ。
今日は娘の川崎病の定期検査の日。発症したのは2年前です。一歳11か月の時。
あの時私は子育てにちょうどイライラしていたのかな、外に出たかったのかな、
自分のことばかりに目がいって、娘としっかり向き合えてなかったのだと思う。
無理して起業塾に行ったり、旅行も子供の体力考えずスケジュール組んだり、
…で結局娘は数日間も高熱でうなされ入院することになった。
診断結果は川崎病。
後になってわかったことだけどパルボウイルスと併発していたという、本当に珍しいケース。
川崎病は今でも原因不明の奇病と言われているけど、
原因は私にあったんじゃないかな、私に大事なことを気づかせたかったんじゃないかなと思う。
川崎病は一般的にガンマグロブリンの投与で治るといわれるけど、うちの娘にはきかなかった。
(多分のちに分かった併発も原因だったのかも)
グロブリン投与しても41.5度の高熱。
もう一回投与してもダメで転院が決定。他の治療ができる病院へ救急車で搬送された。
熱で苦しんでいる間、わたしは
「がんばるんよ!」ってずっと声をかけてて、娘ももうろうとする中「がんばる、がんばる」って何度も言ってた。
でも本当にきつかったのかな、もうだめかと思ったのかな、
私が「がんばるんよ!」って言ったら、
小さな声で泣きながら
「オンマもう、がんばれん。がんばれん…」て答えた。
今でもその時の娘の顔が忘れられません。
母としてどれほどのことをやってあげただろう、どれほど関われてあげれただろう、
後悔ばかりが頭に浮かんで、
情けなくて、申し訳なくて、
でも手をにぎってあげることしかできませんでした。
転院した病院でレミケイドという薬が投与され、夜中に一旦がくんと体温が下がれば、ほとんどのケース、大丈夫だそう。
一度それで下がれば、もう上がることはないと。
そのとおり、夜中に35.0℃まで熱は下がって安心。
でもそれは束の間でした。
午前2時には38.3℃。
効かなかった……。
主人も夜中に高速飛ばしてかけつけた。
体温はそこからまたどんどんどんどん上がっていく。
ちっちゃな体を抱きしめながら、
この子のためならすべて捨てれる、神様って、
もう、祈るしかなかった。
次の段階の治療は、全身の血液を一旦出して洗浄して戻すという方法。
この方法を使った前例もあるけど、後遺症が残ったそうで怖かった。
次に進むかはお昼まで様子をみましょうと先生に言われた。
そのまま待っていられなかった私は、姉に教えてもらったリーディングセラピストさんに電話をかけた。娘の心を聞いてもらった。
するとその人曰く、
「熱、下がりますよ。下がっていってます。○○ちゃん遊びたいって言ってる。ママとベタベタしたいって言ってる。抱きしめてあげてください。熱はすぐにさがります。」
電話を終えてからもまだ熱が高かった娘を、祈りをこめて込めてぎゅっと抱きしめてトントンし続けた。
すると、言葉の通り、どんどん落ち着いていつの間にか平熱になった。
このタイミングでレミケイドが効いたのか、祈りが届いたのか、理由はわからないけど。
血液検査で白血球の数はひっかかったものの、次の治療は見合わせようと先生。
それからその日どんどん回復して、夜には数日ぶり声を出して笑った。
私はその笑い声を聞いて泣いた。
数日間、悪夢のような日々だったけど
私は本当に大事なものを娘に教えてもらった。
病気になる前、私も、娘も、きっと、ぎりぎりだった。
結果こうして回復したから笑顔で言えるけど、
病気になったことで本当に大切なものに気づけたと思う。
主人と娘の関りも、本当に変わった。
残念ながらお誕生日までに退院許可が出ず、2歳のバースデーを病院で迎えた娘。ごめんね…。
また一年後に検査があって市外の病院に行かなきゃいけないけど、
毎年あの時の壮絶な日々と、心に誓った大事なことを思い出させてくれる貴重な時間だと思ってる。
娘が命がけで私に届けてくれたメッセージ。
「オンマともっと遊びたい、ベタベタしたい。」
これからも叶えてあげなきゃ。
今日はまた初心にかえることができて、絵本いっぱい読んであげれたかな。
こどもはいつもママにメッセージを送ってる。
耳と心を澄まして聞いてあげよう。

ミョンミ

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